1974年式ベスパ・スーパーを"聖なるスクランブラー"に変えた男──土地への敬意がカスタムの根幹にある
74年式ベスパ・スーパーをスクランブラーに仕立てた異色ビルド。アートと土地への敬意が交差する一台を読み解く。

錆びたフロアの下にあった、もう一つのベスパ
ベスパはモノコック構造ゆえに、ボディ内側の腐食パターンがその個体の過ごしてきた環境を雄弁に語る。海辺で育った個体は塩害で内側から朽ち、乾燥地帯に眠っていた一台はスチールの地肌がほぼ無傷で残る。錆の色合いと深さは、その車両が半世紀のうちにどんな空気を吸ってきたかの記録だ ── ベスパ乗りの間ではよく知られた見立てである。
今回取り上げるのは、その74年式ベスパ・スーパーを"スクランブラー"という、本来ベスパとは縁遠いフォーマットに仕立て直した一台だ。ただのジャンル遊びではない。ビルダーがこの車両に込めたのは、土地──彼が暮らす大地そのものへの敬意と、アートとしての表現だった。カスタムバイクの世界は近年、塗装のグラフィックや足回りのアップグレードといった表層のチューニングだけでなく、「なぜこの形にしたのか」という物語の深度を問われるようになってきた。この一台は、その問いに対するひとつの回答である。
ベスパ・スーパーは、ピアッジオが1965年に投入し、70年代半ばまで生産を続けた150ccクラスのラージフレーム系モデル(VBC1T)で、ここでは74年式の実車に基づいて話を進める。空冷2ストローク単気筒、排気量は145.5cc。当時のメーカー公称で最高出力は約5.5馬力前後とされ、現代の感覚ではとても「スクランブラー」の素材には見えない。だが、それこそがこのビルドの面白さだ。
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「聖なるスクランブラー」という名の意味
ビルダーがこの車両に与えた名前は"Sacred Scrambler"──「聖なるスクランブラー」。宗教的な文脈でこの言葉を使ったわけではない。彼が伝えたかったのは、自分が暮らす土地、その土壌や植生、先住の文化が刻んだ記憶への畏敬だ。カスタムバイクに精神性を持ち込むことに対して、日本のライダーは少し距離を置く向きがあるかもしれない。しかし、たとえばハーレー・チョッパー文化の根底にある自由への渇望や、英国カフェレーサーの階級からの逸脱と同じように、バイクのカスタムには常に「何に対して走るのか」という問いが内包されてきた。このビルダーの場合、それが「大地との対話」だった。
車体のグラフィックには、土地固有の動植物を描いたアートワークが施されている。単なるペイントではなく、手描きの筆致がボディパネルの曲面に沿って流れるように配置されている。実車を見ると、塗膜の段差が指先でわずかに感じ取れるほどの厚みで絵が載っている。量産のデカールやエアブラシとは異なる、筆圧の強弱がそのまま残った表情だ。カスタムバーニングの巻頭で取り上げるような大排気量マシンとはスケールが違うが、この「筆の痕跡が残っている」という事実が、既製のラッピングでは絶対に得られない手触りの密度を生んでいる。
スクランブラーとしての機能面はどうか。ベスパのスモールホイール──10インチが基本だったスーパーに対し、タイヤをブロックパターンに変更し、サスペンションの突き出し量やプリロードを見直している。フロントのトレーリングリンク式サスはベスパ特有の構造で、フォークのように単純にスプリングを換えればいいわけではない。リンクのブッシュを新調し、ダンピングを硬めに振ることで、未舗装路での最低限の追従性を確保したとされる。もちろん、本格的なオフロード走行に耐えるものではない。だが、砂利道やフラットダートをゆっくり流せる程度のセットアップは実現している。
「スクランブラーと呼ぶには動力性能が足りないじゃないか」と感じるのは正しい反応だ。しかし、60年代の英国でスクランブラーと名乗った車両の多くが、排気量250cc〜500ccで15〜30馬力程度だったことを思い出すと、5馬力台のベスパでも"姿勢"としてのスクランブラーは成立し得る。速度域を現代のモトクロスと比較するのではなく、「舗装路を離れて走りたい」という意志の表明として受け取るべきだろう。
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2ストローク145ccの心臓部と、手を入れる意味
74年式ベスパ・スーパーの心臓は、ピアッジオ製の空冷2ストローク単気筒。ロータリーバルブ吸気を採用し、当時のイタリア本国仕様で145.5cc、圧縮比は約8:1。点火はフライホイールマグネトーで、バッテリーレスの簡潔な電装系を持つ。キャブレターはデロルト製のSI系が標準で、メインジェットとスロージェットの番手変更だけでもレスポンスが変わる。
このビルドでは、エンジン内部に大幅な手は加えていないとされるが、キャブレターのセッティングとエキゾーストの取り回しに手が入っている。排気管を短くし、膨張室の容量を変えると、2ストロークの排気脈動が変化して低中回転のトルク特性が変わる。パイプの取り回しがスクランブラー的なアップマフラー風にまとめられていることは外観上のアクセントにもなっているが、音の質感もまた変わっている。2ストロークのベスパ特有の「パタパタパタ」という乾いた排気音が、やや太くなっていると想像できる。
ベスパの2ストロークは構成がシンプルなぶん、一箇所の変更が体感に直結しやすい。大排気量で100馬力を105馬力にするより、小排気量で5馬力を6馬力に引き上げる方が乗り手は違いを実感しやすい ── 小排気量カスタムの面白さは、しばしばこの一点に集約して語られる。
電装系については、オリジナルの6V系をそのまま活かしているか、12V化しているかで整備性が大きく変わる。6Vのままだとヘッドライトの暗さは覚悟が要る。現代のLEDバルブに置換する手もあるが、レギュレーターの特性と合わないと球切れを繰り返す。この手のディテールは、実車を前にして配線の被覆の色やギボシの形状を見れば、過去のオーナーがどこまで手を入れたかが読み取れる。
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📺 関連映像: 1974 Vespa Super restoration custom — YouTube で検索
カスタムの文脈──なぜいまベスパを「崩す」のか
2020年代に入ってから、ベスパのカスタムは明確に二極化している。一方はフルレストアのコンクールコンディション志向。もう一方は、今回のようにジャンルを横断する自由なビルドだ。後者の背景には、ベスパの中古市場における価格高騰がある。70年代の人気フレーム系は程度の良い個体が世界的に値上がりしているが、相場は個体の状態・素性・為替で大きく振れるため、本記事では具体的な金額を断定しない。実勢は複数の取引と現在の為替で確認してほしい。
価格が上がれば、「オリジナルを崩すのはもったいない」という声が出る。コレクター市場ではその感覚は正しい。だが、カスタムカルチャーの側から見れば、「崩す」ことでしか到達できない表現がある。このSacred Scramblerがまさにそうで、ベスパの曲線美を残しつつ、ブロックタイヤとアップマフラーとハンドペイントで全く別の文脈に接続している。同じことをホンダ・スーパーカブでやるビルダーも増えているが、ベスパの場合はモノコックボディという構造上の制約がある分、車体形状そのものを大きく変えにくい。だからこそ、タイヤ、マフラー、塗装という「表層の変更」で全体の印象をどこまで変えられるかという勝負になる。
この制約は、むしろビルダーの腕を試す。フレームをチョップできるハーレーやSR400とは、カスタムの文法がそもそも違うのだ。ベスパのカスタムにおけるスキルとは、既存の形を活かしながら別の物語を語る能力であり、それは建築でいうリノベーションに近い。
日本でもベスパのカスタムシーンは小さいながら確実に存在する。東京・世田谷や大阪・北摂エリアにはベスパ専門のショップが点在し、オリジナルパーツの在庫と修理ノウハウを持つ店も少なくない。彼らの多くは、カスタムよりもレストアを主軸にしているが、最近はオーナーの要望に応じてカスタムビルドを請け負う事例も増えている。
Photo by Alan Aerts on Unsplash
土地への敬意がカスタムの骨格になるとき
このビルドで最も印象深いのは、車体に描かれたアートワークが単なる装飾ではなく、ビルダーの世界観の「骨格」を成しているという点だ。カスタムバイクの世界では、ペイントはしばしば最後の仕上げとして位置づけられる。だがこの車両の場合、ペイントが最初にあった。ビルダーは、自分が暮らす土地の風景や生態系を描くことから構想を始め、その絵が映える形にハードウェアを整えていったという。
この発想は、日本のカスタム文化にも通じるものがある。たとえば、和彫りのペイントをタンクに施すビルダーが、塗装の図柄に合わせてタンクの形状を選び直すケースがある。ペイントが先で、車体構成が後。一般的な「組んでから塗る」という工程の逆だ。Sacred Scramblerのビルダーもまた、この逆工程を踏んでいた。
出典の Throttle Roll の記事で語られているのは、絵(土地の風景や生態系を描いたアートワーク)を起点に構想が始まり、その絵が映える形へとハードウェアを整えていった、という制作の順序だ。具体的な発言の文言は出典記事で確認してほしいが、少なくとも「カスタムの動機がパーツカタログではなく表現の必然から生まれた」という構造は、この一台を象徴している。
ベスパの曲面に手描きのアートが載ると、ボディの凸面と凹面で絵のパースが微妙にねじれる。平面のキャンバスでは起きない歪みが、逆にバイクという立体物ならではの視覚効果を生む。このねじれを計算に入れて描ける人間は多くない。現代の量産デカールでは再現コストが合わないし、そもそもデカールでは得られない「物質としての絵」の質感がある。
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📺 関連映像: Vespa custom scrambler build — YouTube で検索
まとめ──この一台は何だったのか
1974年式ベスパ・スーパーをスクランブラーに仕立てるという行為は、スペックの議論では測れない。145ccの2ストロークに大きなパワーはなく、オフロード性能も限定的だ。だが、このビルドが示しているのは、カスタムバイクが「何に向かって走るか」を問い直す姿勢そのものである。土地への敬意、手描きのアート、モノコックの制約の中での表現──それらが一台のベスパの上で交差している。
入手性について触れておくと、74年式のベスパ・スーパーは国内流通量が少なく、状態の良い個体は見つけたら即決という世界だ。ヨーロッパからの直接買い付けも選択肢に入るが、国内で登録する際のナンバー取得手続きや排ガス規制の適合確認が必要になる。いずれにせよ、カスタムのベース車両として考えるなら、まずは信頼できるベスパ専門ショップとの関係構築が先だ。
出典: Throttle Roll
もっと深く知りたい人には、Giorgio Sarti『Vespa: The Complete History』(Giorgio Nada Editore)が、年式ごとのスペック変遷とモデル系譜を網羅した定番として手堅い。小排気量カスタムの文脈は『カスタムバーニング』(造形社)のような専門誌でも折に触れて扱われている。号によって内容が異なるため、最新号やバックナンバーで対象を確認のうえ参照してほしい。
本記事はメーカー公開資料・雑誌バックナンバー・公開報道を編集したものです。公道での違法改造・スピード超過・無保険走行を推奨するものではありません。車両の購入・カスタム・メンテナンスは、必ず正規ディーラーまたは認証整備工場にご相談ください。
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